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日本哲学私语——长处与短处

放大字体  缩小字体 发布日期:2012-08-03  浏览次数:3
核心提示:当我们升学或应聘时,通常都会面临这样一个问题:你的特长是什么?或许我们会觉得奇怪,为何要问这种问题呢。所谓长处充其量只是
 

当我们升学或应聘时,通常都会面临这样一个问题:“你的特长是什么?”或许我们会觉得奇怪,为何要问这种问题呢。所谓长处充其量只是以自己为标准的一个现象而已,以他人为标准的话则不一定是长处。即自己觉得好的在他人看来或许并不见得好。例如:

“我的性格很谨慎。”

“原来你是个优柔寡断的人啊。”

以及

“我很有主见,可以独自完成任务。”

“原来你连一点团队协调性都没有啊。”

以及

“我做事很认真。”

“原来你这个人这么没趣啊。”

等等。当被面试官吐槽的时候我们该如何回答呢?虽然对于“你的长处是什么”这一问题,不同的人有不同的答案,不过我的话就会昂首挺胸的回答道:“我的长处就是没有短处。”

这绝不是酒后胡言乱语,或是未理解问题的意思。或许对于大家来说有点难以置信,不过很遗憾这是事实。为了证明这点就得从我无限多的长处中选出5个来举例说明。

其一——我很帅

虽然这个说法有点低调,不过我确实很帅。若从我仅有的男性朋友中随机选出10位排列的话,我可以帅到第89名。按顺序来也就是A君、B君、邻居家那条狗、C君、足球、D君、E君、我、一直住在我家的老鼠、F君。

而若将我那些女性朋友也列入参考的话,那就是A君、邻居家那条狗、C君、D君、我、A小姐、B小姐、C小姐、D小姐、E小姐的这一结果。于是这充分的证明了我很帅。

虽然让这么帅的我来说显得有点那个,不过人们为了长得帅确实得付出极为艰辛的努力,所以我会尽量和比自己丑的生物成为朋友。至少我不会和猫、仓鼠、兔子交友。

其二——我很强

虽然不是自夸,不过我对腕力很有自信。很多场合,虽然我都是单方面被扁,也基本背离了打架的意义,不过我一直在为了获胜而努力。比如我会经常看成龙出演的电影,对空练手刀,以及为了练习脚力而经常吃霸王餐等。

因此在和小学生单挑的时候我有107胜的把握。倘若对手是幼儿园小孩的话我甚至还可以连胜9局。只不过到目前为止都一直没有小试牛刀的机会,或许大家是因为我太强了而产生了畏惧。所以我在这里向所有小学生限定的人群发出挑战,有谁敢跟我过招的尽管放马过来吧!

其三——我记忆力很好

记忆力好也是我一个值得骄傲的长处。我在中学毕业的时候就可以完美默念九九乘法,到了高中时期甚至还能将英语字母按ABCEFDGHIJKMNOXPQRSTVWYZ的正确顺序默写。

但我最强的还属发挥出处理人际关系的超强记忆力。首先,我能以每日元为单位准确记住别人借了我多少钱,并且还能以秒为单位记住借出钱的准确时间,更能以经纬度对借钱位置进行换算。其次,对于他人对我说过的坏话我也会和难以忍受的屈辱一起铭记在心。尤其是对于女性,我常常在伺机报复。所以女人啊,你们给我等着,总有一天我会让你们哭的!

其四——我很受欢迎

或许说出这句话会招来广大男性朋友的嫉妒,不过这确是事实。我时常在想幸好日本不是一夫多妻制,要不然我估计就会因为过度劳累而迟早落得腹上死。

然而,我至今为止却尚未遇到能够正确理解我魅力的女性。我身边大约有10位女性朋友,不过她们全员貌似都察觉不到我的过人魅力,这个问题很严重。有时我不由觉得女性是多么愚昧的存在,不,搞不好她们是背着我去做变性手术的男同胞也说定;要不就是根本不把我当男人,不,是当人类看待。

不过我并未因此而感到沮丧,毕竟只不过是10人而已,这个数只占了日本女性的0.00002%都不到。任何场合都有例外存在,而这个例外就恰好发生在了我那些女性朋友身上有点匪夷所思,或许我自己本身就是个例外。

其五——我能产生错觉

老实说,对于周边一切对我不利的现象,我都有能力将其转换为对自己有利的错觉。其实只要错觉得当,你会发现这个世界充满了粉红色。举例说明就是:

“听说我容貌不扬?”

“幸好我没长着一颗眼镜两个鼻子五个嘴”

“听说我脑子不好使?”

“那是因为我的脑浆只是和常人一样的量而已”

“听说我没有女朋友?”

“所以我倒现在都没被染过性病”

等等。将现象180°转变之后我的明天是充满了阳光。啊啊~向我明天的黎明祝福~~

不过我最近还是有点烦恼的,那就是错觉太多的话对于我的人生也产生了“我的存在或许也是错觉”的怀疑。这个问题在我内心深处尚未得到答案,若要沿用先人名言的话,那就是“我怀疑,故我不存在”。

如果,面试官问我“那你的短处是什么?”的话,我会直截了当的对他说“我的短处就是误以为我不存在短处”。

注:“我怀疑,故我不存在”改自著名哲学家笛卡尔名言“我思故我在”,对于这句话所蕴含的深刻意义有待下回分解。



長所と短所
 例えば進学なり就職なり面接の際に「あなたの長所は何ですか」と聞かれることがある。疑問に思うのだが、そんなことを聞いてどうするのであろうか。「長所」というのはあくまでおのれの存在軸を基点とするところの「事象」なのであって、他人の存在軸を基点とするならば、必ずしも「長所」とはなり得ない筈だからである。即ち、自分の考えているところの「長所」が、必ずしも他人の目から見て「長所」として認識されている訳ではないのである。例えば、
 「私は慎重な性格です」
「ではあなたは優柔不断な人間なのですね」

というように、
 「私は自分で考えて物事を進められます」
「ではあなたは協調性のかけらもない人間なのですね」

というように、
 「私は真面目な人間です」
「ではあなたはつまらない人間なのですね」

というように、面接官に突っ込まれたらどう反論すればよいのであろうか。ともあれ「あなたの長所は何ですか」と言う質問に対する答えは人によって違ってくるだろう。では私の場合はどうであろうか?実は私は胸を張って答えられるのだが、
 「私の長所は、短所が存在しない事です」
と。決して酔っ払っているわけでも質問の意味が理解出来なかったからでもない。恐らく皆さんにはにわかに信じられないであろう。だが、残念ながら事実なのだ。無限にある私の長所から5つ位取り上げて皆さんに実証してみせよう。

第一に、私はハンサムである

かなり控えめな言い方だが、私はかなりのハンサムである。数少ない私の男友達の中から無作為に抽出して序列づけるとすれば、私は10のうち8番目から9番目位にハンサムなのではないかと思う。ちなみに、A君、B君、近所の犬、C君、サッカーボール、D君、E君、私、いつも家にいるネズミ、F君の順である。参考までに、もし私の女友達も含めて10の対象を抽出するならば、A君、近所の犬、C君、D君、私、Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、という結果となり、私がかなりの美形であることが証明できるのである。こんな私が言うのもはばかられるのだが、ハンサムであるための努力はそれこそ、血の滲むような、という表現が相応しい。だから私は努めて自分より不細工な人と友達になろうとしているのだ。少なくともネコ、ハムスター、ウサギとは友達になるまいと思う。
 
第二に、私は喧嘩が強い

自慢ではないが私は腕っぷしに自信がある。大抵の場合、私が一方的にボコボコにされるだけなのであって、「喧嘩」の定義からは甚だしく乖離している、と言うべきであろう。この場合、「虐待されている」と形容すべきである。ちなみに私はこれまで喧嘩に勝つための努力を怠ったことがない。例えば、ジャッキー・チェンの出演している映画を見たり、手刀で空気を割ってみせたり、逃げ足が速くなるよう無銭飲食を繰り返したりしているのだ。その甲斐あって小学生に対しては10回のうち7回は勝てるという自信がついたのである。相手が幼稚園児ならば9割は勝利を収められるであろう。ただ、その腕を振るう機会に全く恵まれないのが残念なところだ。私という強者に恐れをなしているのかもしれない。小学生に限定して挑発してやろう。誰か、私の相手になる者はいないか。

 第三に、私は記憶力がいい

記憶力に関してはかなり優れているものと私自身誇りにしている。中学部を卒業する頃には九九を完璧にマスターしてみせたし、高等部在籍時にはアルファベットをABCEFDGHIJKMNOXPQRSTVWYZと正しく順序づけて書けるようになったのである。だが、並外れた記憶力の真価は実は対人関係に於いて発揮されているのである。まず、人に貸した金は一円単位ではっきりと覚えられるのだ。のみならず貸した時間を秒単位で、場所を緯度・経度に置換して。次に、人の私に対する悪口はその耐え難いほどの屈辱と共に決して忘れない。特に女からのは。私は常々復讐の機会を窺っているのである。女よ、覚えておれ。いつか泣かせてやるからな。
 
第四に、私はモテる

こんな事を言っても男たちの怒りを買うだけかもしれないが、それは揺るぎない事実である。日本国が一夫多妻制ではなくてよかったと思っているくらいである。もしそんなことにでもなったら私は時を置かず過労により腹上死するであろう。だが実は私は、未だ私の魅力を正しく理解できる女に巡り会えていない。私には10人程の女友達がいるが、全員が全員私に魅力を感じられないのだという。これは由々しき事態である。女というものはかくも愚かな存在なのか。否、実は私に隠れて性転換手術を受けて男になっているのかもしれない。或いは、私のことを男、いや人間として認識していないのであろうか。だが私は失望していない。たかだか10人である。日本に住まう女の0.00002%に満たないのである。どんな場合にも例外というものが存在しているものなのだ。だがその例外ばかりが私の女友達であると言うことは単なる偶然ではないような気がする。私の方が例外なのかもしれない。
 
第五に、私は錯覚できる

私は、実際には自分にとって都合の悪いあらゆる「事象」を、自分に都合のよいように錯覚できるのである。実際、錯覚してしまえば世界はピンク色に開けてくるものなのである。例を挙げると、
「私は、顔が悪い」
 「幸いにして目が一つ、鼻が二つ、口が五つなくて何よりである」
「私は、頭が悪い」
 「私には脳味噌が人並みの分量だけある」
「私には彼女がいない」
「私は今までに性病を移された経験がない」 
と言うように。「事象」に対する認識を百八十度変えるだけでかくも私の明日は光り輝くものなのか。ああ、未だ見ぬ我が夜明けに祝福あれ。・・・だが、私は最近悩んでいることがある。錯覚だらけの我が人生に於いて――
「私の存在そのものが、私の錯覚に他ならないのではあるまいか」
と。この問いに対する解は私の心の内に未だ見つからない。先人の言葉に倣って表すならば、

「我疑う、ゆえに我は存在せず」

もし、面接官に「ではあなたの短所は何ですか」と聞かれたら私はこう答えることにしている。
 「私の短所は、私には短所が存在しないと錯覚できることです」
と。その答えで面接を通るかどうかは神のみぞ知るところである。

 「我疑う、ゆえに我は存在せず」の言葉は、哲人デカルトの言葉を参考に私が導き出したものである。この言葉については更に深く掘り下げて別の機会に詳しく論じたいと思う。

 
 
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